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下にスライドして行って、見てくださいね。

宮城県 亘理郡 亘理町 荒浜(鳥の海)
昔の写真 (絵葉書的な物)
2024.01.21追加


以前、画像検索で見つけた画像を引用しています。
問題があれば削除いたします。

磐城亘理 荒濵遊覧紀念 高野商店 の丸スタンプが押してあります。
下の方には、(亘理) 荒濵の全景 高野商店發行 と言うスタンプも押してあります。

磐城亘理と言う表記の仕方は、明治時代 のものとなります。
明治2年(1869年)に、亘理は磐城国の所属となります。(2024年の時点で、154年前です。)
明治4年(1871年)には、仙台県の管轄になります。(2024年の時点で、152年前です。)
明治5年には、仙台県が、宮城県に改称となります。

右側に見える島影は、蛭塚(湾内の中央部にある小島)だと思われます。
写っている人達のすべてが、着物姿のように見えます。
若干高くなって、道のように見える部分が堤防なのでしょうか。
竿がたくさん立っている部分をよく見ると、網が干してあるのが分かります。
右側にある船と人が写っているのを見ると、木造の船はそれなりに大きいですね。
左側一番手前の屋根は、茅葺で、板葺き屋根の家もあるようです。
電柱が見えないので、明かりにはランプを常用していた時代だと思います。


同じ撮影場所だとは断定出来ませんが、Googleのストリートビューで見た現在の様子です。
蛭塚(湾内の中央部にある小島)まで、橋が掛かっています。
堤防は立派なコンクリート製で、昔の面影は、全くありません。



(亘理) 荒濵港全景
見ずらいですが、よく見るとかなりの人がいる事が分かります。
二階建ての建物は、屋根の作りが立派に見えますから、当時の漁協的な所かもしれません。
二階部分にも、人影が見えます。 他の建物は、番屋か住居などでしょうか。
かろうじて、電柱らしきものが1本だけ見えます。

確実な撮影場所の特定は出来ませんが、1枚目の画像で 2色に塗り分けられた高いポールの左側に見えているのが
この二階建ての建物かもしれません。



(亘理) 荒濵河口の歸帆
歸は、旧字体です。 歸=帰 キ ・ かえる ・ かえす となります。
歸帆(きはん)とは、港に帰る帆掛け船 ・ 帰途に就く船の事です。
木造の帆掛け船が使用されていた時代ですね。



同じ撮影場所か分かりませんが、現在の河口(湾内入口付近)を写したものです。
正面の建物は、わたり温泉鳥の海 です。
右側が太平洋で、湾の入口となります。


何となく、掲載して見ました。
古い絵葉書的な物の画像ですが、『荒浜遊覧記念』 のスタンプが押されていますから
当時は、湾内を遊覧船で見せて回るような地元の観光名所? だったのでしょうか。
たぶん、地元の人しか興味が湧かない内容だと思います。

AIによるカラー化も試したのですが、スタンプ部分が悪さをしているのかダメでした。
画像を分割したり、スタンプ部分を消せば行けるかも、と思ったのですが、そのうちですね。

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